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札幌家庭裁判所室蘭支部 昭和38年(家)258号 審判 1964年3月31日

申立人 今野慶信

主文

申立人が左記のとおり就籍することを許可する。

本籍 室蘭市本輪西町二一〇番地

父亡今野慶之助 母亡今野信の二男 今野慶信

大正一四年一一月二四日生

理由

本件申立の要旨は「申立人の本籍は元樺太真岡郡蘭泊村大字蘭泊字蘭泊一一八番地にあつたが、昭和二七年四月二八日日本国との平和条約の発効に伴つて樺太は日本国の領土外となり、申立人は本籍を有しないことになつたため、就籍の許可を求める。」というのである。

ところで本件記録(主として当職の申立人に対する審問の結果(三回)および家庭裁判所調査官平館久男の調査結果報告書から成る。)によれば、

(一)  申立人は大正一四年一一月二四日樺太真岡郡蘭泊村大字蘭泊字富岸内で父亡今野慶之助母亡今野信の二男として出生し、長じて樺太鉄道の鉄道員となり各地を転転とした後、終戦当時は床佐駅、その後三浦峠駅でいずれも助役として勤務していたが、昭和二三年暮頃現在の妻栄子(昭和四年七月七日生)と事実婚をし、同二四年一一月四日長女亜津子、同二六年一二月六日二女美津子、同二八年八月一〇日長男加津雄をそれぞれもうけたが、申立人は同二九年一二月に至りソビエト社会主義共和国連邦(以下ソ連という)に右婚姻届および出生届を提出すると共にソ連の国籍(市民権)の取得を申請し、翌三〇年一〇月にその許可がなされたこと。

(二)  しかしながら申立人は終始日本への帰国を念願してやまなかつたところ、昭和三八年五月六日ソ連当局の渡航許可(在留期間一年)をえて同年七月二二日横浜港に上陸し、肩書住所地に居住して今日に至り、そのまま永住を強く希望していること。

以上のような事実が認められる。

しかして申立人は就籍の許可を申立てているものであるから、そのためには申立人が日本の国籍を有することが前提要件となるところ、わが国籍法第八条によると、「日本国民は、自己の志望によつて外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う。」というのであつて、従つて申立人のソ連の国籍取得が自己の志望によるものであつたかどうかが検討されなければならない。

そこで前記資料によつて申立人が何故ソ連の国籍を取得するに至つたかをみると、

(一)  申立人は終戦後鉄道技術者として現地に残留させられたものであるが、終始帰国(引揚げ)を強く希望しており、そのためには前記三浦峠のような奥地に居住していたのでは帰国の機会すら知ることができないことを慮り、昭和二四年夏頃鉄道を退職し、帰国の機会を得るために大泊に移住したが、大部分の日本人は昭和二三年中に帰国した後であり、残留者についても既に引揚名簿作成後であつたために申立人の要望は容れられず、ついに申立人は帰国の機を失したこと。

(二)  かくして申立人は大泊で約二年間病院のボイラーマンとして働いた後、消費組合の倉庫係として荷物発送等の仕事に従事するようになつたが、当時大泊には数多くの朝鮮人(その世帯数は凡そ五、六千であつた)とソ連人が居住するだけで、日本人としては朝鮮人と結婚した女性が少数あるに過ぎず、申立人のように夫婦共日本人であるという例は他になかつたこと。

(三)  ソ連当局は、ソ連の国籍を有しない外国人をすべて無国籍者として取扱い、教育面でもソ連の学校への入学を許さなかつたので、申立人はこのままでは子供を朝鮮人の学校に入学させるの外なく、かねてそのことを深く思い悩んでいたこと。

(四)  申立人はソ連の国籍を有しないために、職場内でも労働組合の組合員となることはできず、従つて組合の恩恵に浴しえなかつたし、住居の点でも狭隘なところに雑居を余儀なくされたばかりでなく、何かにつけて秘密警察に思想問題等につき取調べをうけるなど、幾多の差別待遇に甘んじなければならなかつたこと。

(五)  一方ソ連当局は、終戦後樺太各地で労働力の不足を補うために、日本国土の荒廃、食糧事情の悪化その他を理由として、日本人労務者特に技術者に対してソ連への帰化をすすめてきたが、昭和二三年頃までに日本に帰国した人人についてみると、その大部分が集団をなしていたために全員で右勧告を拒否しつづけてきたものであるところ、申立人の場合は、勤務先である消費組合内では唯一の日本人であり、昭和二五、六年頃以降は職場の長、労働組合員、青年共産党細胞の人人らから、今や帰国の見透しは全然ないのであるから子供の教育その他の点でもソ連の国籍を取得するのが得策であるとして強く帰化をすすめられたこと。

(六)  かくして申立人は、相談相手たるべき人は誰も居ないままに、あれこれ思案した結果、昭和二九年一二月に至つてついに帰化へと踏切つたこと。

以上の事実が認められる。

しかして右認定事実に徴すると、成程申立人がソ連の国籍を取得するに至つたのは、ソ連当局の強制によるものではないし、表面にあらわれたところでは、申立人の自由な意思決定を妨げるような強迫その他の事由を見出すことは困難であるから、一見申立人は自己の志望によつてその国籍を取得したもののようにみえる。しかしながら更によく考えてみると、異境にあつて長年無国籍者としての差別待遇を余儀なくされ、幾多の辛酸にたえてきた申立人にとつて、帰国こそが唯一の夢であり且つ心の慰みであつたということができるところ、最早帰国の見透しは全くないと知らされてその望みが絶たれたときの申立人の心理状態は察する余りがあるのであつて、相談する人とても無い特殊な環境の下において、子供の教育のことその他の点を考慮してソ連への帰化を決意したとしても、それはまことに無理からぬことというべく、かかる場合に表面にあらわれた現象のみをとらえ第三者の強迫その他の事由がなかつたからといつて、直ちに申立人が自由な意思決定のもとに、自己の志望によつてソ連の国籍を取得したものとみることは、申立人に対して余りにも酷であると言わなければならない。かようにみてくると、本件のような極めて特殊な条件下にあつては、申立人が帰化を決意したのはよくよくのことであり、真にやむを得ないものと言うべく、本来わが国籍法第八条にいわゆる「自己の志望によつて外国の国籍を取得する」というのは、本件のような場合を予想したものとは解せられないから、結局申立人はソ連の国籍を取得したとは言いながら、未だそれは右同条にいわゆる自己の志望によるものとは認め難く、申立人は未だ日本の国籍を失つていないと言うべきである(なおわが国籍法が二重国籍を禁じていないことは、右同条の解釈上からも明らかなところである)。

よつて本件申立は相当な理由があるものと認め、主文のとおり審判する。

(家事審判官 斎藤次郎)

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